白洲次郎と武相荘

今年になり、白洲次郎がちょっとしたブームになっている。
NHKではドラマがあり、書店でも白洲次郎フェアをやっている。
やはり時代がこうした骨太の、公私を分け的確な状況判断の出来る
政治家(白洲次郎は政治家ではないが)を心のどこかで求めているのかな
とも思う。

私は2度、白洲次郎が住んでいた家・武相荘に行ったことがある。
武相荘とは武蔵と相模の境に家があったことから、白洲次郎が自分の
無愛想とかけて命名した住み家で、今は入館出来るようになっている。
私の父も常日頃、白洲次郎や開高健が好きだと言っていた為、
親孝行も兼ね、一度二人で武相荘に行った。
私はこの武相荘には圧倒されたと同時に、非常に羨ましく思った。
家とはこういうものなんだと初めて気付かされた。
白洲次郎自身が昔からあった家を買い取ったというのもあると思うが、
当たり前だが温もりが断然違った。
家が生きてるような感覚というのだろうか。
不思議な感じだった。
英国では古ければ古いほど家の価値があるそうだが、白洲次郎も
それを意識したのだろうか。
そして私が感じたのは家のあちらこちらに家主の
手が掛かっている感があり、
建物自体も修復・修復を重ねた為、妙味があった。
古い家だがこういう家に住みたいと本気で思った。

とてつもなく広大な敷地なので、至る所に白洲次郎の使用していた物が
置いてあって、私たちからすると非常に嬉しい。
大体最初行った時はナビが間違えたのかと思った。
目の前に現れたのは大きな森だったからだ。
そこは裏口だったらしく家などはどこにも見当たらない。
裏側(本当は正面)に車で回ってようやく裏側だったことに気付いた。
予想よりも心打たれた家がそこにはあった。
なんともいえない味がある家だった。

自宅に帰ってきた時、何と味のない家だろう、と我が家ながら思った。
文句があるわけではない。
味の違いを見せつけられて感じただけなのだが、何か私の思想に
響くものが武相荘にはあった。
白洲次郎が好きだから武相荘に魅せられたというのもあるだろうが、
何かこう家一つとっても根本の考え方が違うというか
物事の捉え方に軸があるので、非常に勉強になった。

ただ、家自体は今後私が何してもああいう雰囲気は醸し出せないのだろう、
と思うと残念でならない。
家の作り方が違うのだから仕方がないのは分かっている。
これを飛躍して考えれば、人間も同じなのだろう。
味がある人間とは知識・経験を自分の心身に見事に植え付け、
一歩その人の心に触れれば温かさを感じその人から離れたくないような
妙味を自然に感じさせてくれる人をいうのかなと思う。
端的にいえば胆識を持つ人なのだろうが。

私もそうした人間になれるよう努力していきたいと思います。
自分を常に戒める必要があると日々感じています。
また最近子供達には、意識的に少し言い過ぎるくらい
叱咤激励しているのですが、
空手をやる上での思考というもののレベルを上げる・言動全てにおいて
打たれ強くなってもらいたい、というのがあり、あえてそうしています。
空手を通じて自分の思想の軸を子供心に形成していく時に、
褒めるだけではやはり身に付かないと思いますし、
中途半端に叱るのが今の子には一番いけないとも感じてまして、
褒める・叱るのバランスを常に保つのが指導者とも
思いますので、私はその子のためだと思ったら遠慮なく叱りますので
改めてご理解の程お願い致します。

今回の内容を振り返り考えるのは、
白洲次郎の話をすると『軸』の話をするようになるんです。
私が白洲次郎を好きなのはやはりぶれない人間性に惹かれてのことだと
これも改めて痛感した次第です


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